「壁」の残る場所


ルリンの街には今も「壁」がいろんなかたちで残されています。ハンマーの跡が残る当時のままの壁もあれば、例えばイーストサイドギャラリー<*1>のように、アーティストがメッセージを描くことで「作品になった壁」。屋内の博物館で「保管されている壁」。お土産屋で「売られている壁」・・・など。<*2>
 また、街の中心部では、道路上に続くレンガのラインを見かけることがありますが、これも「壁」の跡を示した記録です。ただ、大半は車道になっていて、車がひっきりなしにびゅんびゅん横断しています。その様子を見るのは、実物の壁を目にするのとはまた違った感慨があります。<*3>

 「壁」の残る場所のなかでも、衝撃的なのがニーダーキルヒナー通りに残る約200mの壁です(上の写真)。樹の向こう側に写っているのが、ここに残されている「ベルリンの壁」。では、その手前のパネルが並んでいるところは何かというと、別の建物の地下牢跡なのです。ここは第二次世界大戦中、SSとゲシュタポの本部があった場所。ナチスの中枢があったところに、後に「壁」が作られ、今は両方が一度に立ち並んでいる状態になっています。なんと数奇な運命を辿っている場所なのでしょうか。
 この場所には、ベルリンの人たちも近寄りたくなかったのでしょう。1987年までは再建されないまま荒れ地となっていたそうです。その後、当時の様子を知らせる資料などを展示する屋外展示場トポグラフィー・オブ・テラーとして開放されるようになりました。
 私は暗くて寒い日に行くとまいってしまうと思ったので、天気がよく明るい日に出掛けました。ですが、施設の説明はともかく、道沿いの樹に吊るされている人たち、順番に並ばされ銃で打たれる瞬間の人たちの写真などホロコーストに関するものは、やはり見るのが辛く恐ろしくて涙が滲みました。


 通りからみると「壁」しか見えませんが、その裏にはトポグラフィー・オブ・テラーと、まだ手つかずのままの空き地がぽっかりと広がっています。再開発によって近代的なビルが建つポツダム広場にあって、この景色はすごく違和感のあるものです。が、それだけに、まだ消しきれない戦争の傷跡を表しているかのようです。<*4>

 全長が約155kmあったという「ベルリンの壁」。現存するのはほんの一部ですが、それでも残されている「壁」、そして、「壁」のあった場所は様々に歴史を語りかけています。

*2007年11月9日に、ベルリンは「壁」崩壊から18年めを迎えます。


<*1> ドイツ内外のアーティストによってメッセージが描かれた「壁」が約1.3kmにわたって続いています
<*2> アスベストがいっぱい使われてるらしいので、ご注意!
<*3> 2001年には、かつての壁に沿って整備されたサイクリングロードも完成しています
<*4> ただ、ここも将来、大きな博物館が併設されるプロジェクトが進んでいます。揉めているようですが・・・